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第五回 信じられるのはお金だけ

国の債務を家計の債務に置き換えてみたときに、1100兆円の債務に対する40兆円の税収を、年収400万のサラリーマンが1億1000万円の借金を負っているというたとえを目にすることがある。これが平均的な国民が直面している状況であるならば、すでに破綻である。
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100円のものが100円で取引されるということは、100円の債権者と100円の債務者ができ、経済全体で100円の貸借関係が生じるということである。閉鎖経済を前提としてこの貸借関係をみれば、国全体には純債務も純債権もない。国を政府と民間の二つの部門に割れば、政府と民間の間で債権債務が生じる。民間に100円の純債権があれば、政府は100円の債務を負っていることになる。すなわち、1100兆円ともいわれる政府の債務は民間の債権に他ならないのである。団塊の世代が退職し、家計が貯蓄を取崩しはじめることは、政府の債務が減少することとイコールであり、民間の貯蓄が減少すれば国債を買う財源がなくなるという終末論は本末転倒である。
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この点に着目すれば、政府部門の債務残高は、民間部門がどれほどの貯蓄をしているかということに他ならない。家計部門の金融資産は1400兆円といわれる。日本の世帯数5000万で割れば、一世帯あたりの平均残高は2800万円である。1985年における家計部門の金融資産は400兆円、当時の世帯数4000万世帯で割ると、一世帯あたりの平均残高は1000万円である。家族・地域とのかかわりが疎になり、老後の備えとして「信じられるのはお金だけ」、1000万円の貯蓄では不十分、もう少し貯蓄が必要ということになれば、政府部門の債務が積みあがったのもうなずける話である。
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経済学では貯蓄は将来の消費を前提にしており、異時点間における消費の選好の問題として捉えられているが、実際には将来の消費のための貯蓄という他に、将来消費されることが前提とされていない「備え」としての貯蓄が、実際には多いのではないか。「信じられるのはお金だけ」という社会では、多くの人がこうした「備え」を必要とし、当然の帰結として、それに等しい財政の不均衡が生じる。財政の不均衡を縮小させようとして無理に増税をすることは、この「備え」を無理に取崩させることに等しい。

それでも疎遠社会では「備え」が必要なのであり、「備え」を維持するために消費をひかえれば、経済は「本当にもったいない」ことになる。

巷で言われる、「国民一人当たりの債務がいくらだから…」、「団塊の世代の貯蓄が取り崩されると国債の受け皿がなくなるから…」という類の終末論ではなく、「本当にもったいない」ことしてないかという観点から増税の是非を議論すべきである。もし国民がフル稼働したら、国民全員が豪邸に住み、高級車に乗れるかもしれない。財政再建を達成しても、国民の仕事が無くなったのでは意味がない。

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