千倉書房 連載ブログ

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第九回 オリンピックの金メダル

これまでの連載で、「いくら稼ぐか」ではなく「どれだけ消費できるか」が国民経済にとって重要であることを述べてきた。国という共同体においては、分業+交換という共同作業によって、国全体の厚生水準を上げることができる。モノを売ってお金を儲けた人だけが得をするのではない、モノを買って損したと思う人も、自給自足でそのモノを作ることができなければ、モノを買えること自体、経済取引の利益を享受していることになる。モノを売る人も買う人も皆利益を享受している。
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これは閉鎖経済を前提とした場合の話であり、国際競争というコンテクストでは、この話を修正しなければならない。経済学では二国間の貿易でそれぞれの国の厚生を高めることができると整理する。リカードの比較優位の原則はその標準的なモデルである。ところが、実際にはこんな悠長なことはいってられない。多数の国・企業が参加する国際市場では、国際競争力がなければ市場から淘汰される。輸出品の競争力がなければ、輸入をするための外貨を調達できず、食料品・エネルギーなどの必需品の調達ができなければ、国民の経済厚生は低下せざるをえない。国際競争力は国にとって死活問題である。
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日本国内の水泳大会では、必ず国内で金メダルをとる人がでるが、オリンピックでは日本人が金メダルを取れるとは限らない。国内で金メダルを取るためには、強敵がいない方がありがたいが、ぬるま湯につかっていれば、オリンピックで金メダルを取れる可能性は低くなるに違いない。例えば、日本の雇用制度について、解雇をすることが容易でない労働法制があれば、国内の労働者の雇用は安定化する。日本という閉じた世界では、厚生水準を高めることができるかもしれない。しかし、ひとたび企業が国際競争にさらされれば、この労働法制ゆえに、労務費の上昇を招き、価格競争で淘汰されるということになるかもしれない。日本という共同体における利益と国際競争に勝ち抜く強さをどうバランスさせるかということが政策を立案する上で、極めて重要な課題といえる。

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